あれからもう20年経ってることになる。でも、あの光景はまざまざと思い出される。
今日は「プロレスを語る」わけだから、敢えて師匠、ではなく大仁田厚、と呼び捨てにしたい。
そして、盟友SHINの言葉を借りるまでもなく、プロレスは浪漫なのだから、ネットで細かく事実だけを追ってくのは愚の骨頂である。そんなのは「あちら側」のやることだ。「大仁田vs長州」という言葉から、俺の脳内を駆け巡る光景を書くことこそが、プロレスの醍醐味を伝えることになるのではないか。
自分で作ったFMWで大ブレイクし、有刺鉄線が代名詞になった大仁田、かのハヤブサさんとの引退試合(ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチ)でキッチリ引退するはずだった。そのままプロデュースに専念…しないのがこの人で(^_^;)宿敵であったミスター・ポーゴの引退試合に相手としてポーゴ自身から指名される、というカタチ(こういうのをプロレス用語でアングルという)で、駒沢体育館(もちろん行った(^_^;)で一夜限りの復帰をする。筋金入りの大仁田信者を自認するこの俺でさえも、駒沢の夜に響き渡るワイルドシングにいささかの違和感を感じたものである。
ところが1試合、にならないのがこの人で(^_^;)なし崩しにFMWに復帰してしまうのだ。その当時、Fの実権を握っていたのはサムソン冬木。最終的に川崎球場で一騎打ちを行い、そこで辛勝し、大仁田は叫ぶ。
「俺は、俺は、俺は!インディー代表として、新日本プロレスに殴り込む!」
そして長州戦への長い道が始まるのである。この日まで、まさか、あの新日がいくらなんでも受けねえだろう、と思っていた。
その翌月、新日本に乱入の形で登場した大仁田はパイプ椅子を振り回し、毒霧を吐いて若手数人をギタギタにする。
そして叫んだ。「お前らメジャーはぬくぬくとした環境で試合してるんだろう!俺たちはな!俺たちはな!いつもこんな試合をしてるんじゃあ!」
その頃、長州力は引退していて、新日本のブッキングマネージャーをやっていたわけで。このとき、リングサイドに登場し、歩み寄ろう、リングに入ろうとする大仁田に、
「またぐなよ!またぐなよ!」と滑舌悪く恫喝する。
そう、これが芸人・長州小力の持ち芸なのである(^_^;)いま、本家を知らない人多いんだろうなー。
そして、長州が「やれるもんならやってみろ!」と組んだ試合が…
vs佐々木健介!そして場所は東京ドーム!当時新日本は年4回!ドーム興行をやっていた。
佐々木健介といえば…今では北斗晶の尻にしかれる良い人だが、当時は闘魂三銃士〔武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也〕に次ぐ4番目の男として、新日本のストロングスタイルを体現していた。
どー考えても大仁田に勝ち目はない。
そして…ドームの花道を邪道革ジャンに身を包み、くわえ煙草でパイプ椅子を担いで歩く大仁田に、新日本ファンから「帰れ!」「新日本をなめるな!という罵声とともに、ビールの紙コップやペットボトルが乱れ飛ぶ。
…そこをたった一人で歩く大仁田。
そして試合は…健介のバックドロップやブレーンバスター、そして近距離のラリアットを受け切り、それでもノックアウトされない。
「俺は馬場さんに受けを教わってきたんじゃあ!」
ラストは場外でイスで滅多打ち、恒例のゼミテーブルにサンダーファイアーパワーボムを放ち、さらには長州の顔面にビッグ・ファイアー…
レフェリー・山本小鉄の采配により、リングアウト無効試合。
退場時、変わらずモノが乱れ飛ぶが、コメント会場についた大仁田は、マイクを向けた若手アナウンサー、マナベくんを振り回し、
「俺は!俺は!俺は!弱いんじゃあ!でも見たか!佐々木健介は俺をノックアウト出来なかった!」
「いまテレビを見てる、いじめられっ子諸君!俺を見ろ!俺は弱くても!絶対!」
「絶対!絶対!負けないんじゃあ!」
痺れるぜ、師匠(T_T) あ。やはり師匠とよんでしまう(^_^;)
…きっとつづく